天長七年(830)、慈覚大師円仁により創建された星野山無量寿寺が始まりとされる喜多院。慶長四年(1599)、二十七世を継いだ慈眼大師天海が徳川家康の厚い信頼を得、寺領四万八千坪及び五百石を下し、寺勢盛んとなりました。寛永十五年(1638)の火災後の再建時には、江戸城内の「徳川家光誕生の間」が書院、「春日局化粧の間」が客殿として移築されました。現在、多くの文化財や正月3日の初大師・だるま市、五百羅漢などの見どころや行事があり、川越大師として親しまれ、参詣の方々が訪れます。
●徳川家光誕生の間・春日の局化粧の間
喜多院には、客殿に「徳川家光誕生の間」(右写真)、書院に徳川家光公の乳母・春日局が過ごした「春日の局化粧の間」があります。寛永十五年(1638)1月の川越大火により、現在の山門を除き、喜多院は堂宇をすべて焼失。徳川家との深いつながりのあった喜多院のために、三代将軍徳川家光公はすぐさま復興の命を出し、江戸城紅葉山(現皇居)の別殿を移築して、客殿、書院等に当て、現在に至ります。どちらも国の重要文化財に指定されています。
●初大師とだるま市
正月3日は厄除元三大師のご縁日で、初大師といわれております。大師を正しくは慈恵大師と尊称しますが、正月3日に涅槃に迎えられたことから、別称元三大師ともいわれています。大師は比叡山で密教の行法を深く修められ、民衆の苦しみや悩みを神秘奇跡によって救い、厄難消除の信仰を集めてきました。当日には、不動護摩供を修して、開運厄除、家内安全、諸願成就等を祈願いたします。境内では、「だるま市」が行われ、七転八起の開運の縁起物「だるま」を求める方々が訪れます。
●五百羅漢
小江戸川越の観光スポットの中でも、ユニークな存在として知られる喜多院の五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、天明二年(1782)から文政八年(1825)の約五十年間にわたり建立されたものです。十大弟子、十六羅漢を含め、五百三十五尊者のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊・普腎の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、全部で五百四十体が鎮座しています。本当にさまざまな表情をした羅漢さまがありますので、一つ一つゆっくりとご覧ください。また、深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているのだという言い伝えも残っています。 |