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第1回 変 遷 |
川越まつりは、川越氷川神社の祭礼から発展し、350年以上の時を経て、現在に至ります。もともと川越氷川神社の秋の祭礼は隔年で行われていて、田楽や相撲などが奉納されていました。慶安元年(1648)、川越城主松平伊豆守信綱が神輿や獅子頭、太鼓などを寄進し、大江戸の天下祭にならい、神幸祭を執り行ったのが川越まつりのはじまりといわれています。 その3年後の慶安4年(1651)には、松平信綱の命により、川越十ヶ町の町方の人々に祭礼が引き渡され、神幸祭の神輿に随行するようになったと考えられます。祭礼の一行は、城内に入り、城主の上覧があったといいます。元禄11年(1698)、高沢町(現元町2丁目)から神輿に随行する踊り屋台が出され、これ以後は各町内から様々な出し物が出されるようになります。日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭など、天下祭から影響を受けることで、出し(山車)、屋台(1) 、練り物(2)などが祭礼を彩り、全国に知られるようになっていきました。
明治時代に入ると、川越藩の消滅により、藩からの保護は受けられなくなりましたが、物資の集散地として繁栄を築いていた川越商人の経済力が祭礼を支えていくことになります。出し(山車)には、囃子台に唐破風の屋根がついたり、囃子台がぐるっと回転する構造になるなど、川越流の仕様が加わりました。そして、時の流れの中で、現在のような出し(山車)が主体となる祭礼となっていったのです。 昭和47年(1972)、市制施行50周年と市役所の新庁舎竣工を祝い、川越市全体をあげての祭礼となり、川越まつりとして多くの人々に親しまれています。数年前までは10月14日、15日に行われていましたが、現在では、10月の第3土曜日と日曜日に行われています。 (1) 屋台 ・・・移動しながら踊りが披露された舞台。 |