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夕暮れにたたずむ時の鐘は、川越で最も美しい景色のひとつだと思っています。夕日に照らされた時の鐘は、少し黒みを帯びてまだ青みを残す空の広がりを背景にそびえ、その存在感を私たちに示しているように感じられます。夕方6時に鐘の下を通れば、鐘の音が蔵造りの町並みに鳴り響き、いっそう厚みのあるいい雰囲気が生まれます。遠い江戸時代も毎日こうして川越の町を見守り、時を知らせていたのでしょう。現在の時の鐘は4代目ですが、400年近くの歳月が経っても変わらず営まれている小江戸の風景です。近隣の川越っ子(といってもお年の方が多いのです)が時の鐘を「鐘撞堂(かねつきどう)」とだけ呼ぶのはそんな表れなんです。 時の鐘は、寛永年間(1624〜44)に川越城主・酒井讃岐守忠勝の命によって、建てられたといわれています。もともとこの土地は古くは天台宗常蓮寺の境内であり、町名を多賀町(たがまち・箍町)といいました。すなわち桶大工の職人さんが住んでいた町(昔の川越の町名はまちの奥行きを示すいい名前が付いていました)であり、川越町分十ヵ町の中心に位置したため、四方にまんべんなくよく鐘の音が聞こえたといいます。 幕制時代には、鐘楼の西側に鐘突き人2名が住んでいて、半刻(はんとき・1時間)ごとに時刻を知らせていたそうです。彼らの給与は、田畑3反部(免田)と各町内から1戸につき毎月銭6文、さらに四門前(養寿院、行伝寺、蓮馨寺、妙養寺)と郷分から籾と麦を年2回徴収してあてていました。 現在4代目の時の鐘は、明治26年の川越大火後に建てられたもので、鐘は川越の鋳物師・矢沢四郎右衛門によって鋳造されました。構造は江戸時代のものをそのまま模し、木造の楼の高さは、約16メートルで、奈良の大仏さんと同じ大きさだそうです。現在、鐘は電動式となりましたが、午前6時、正午、午後3時、午後6時に鳴らされます。蔵造りの町並みを見下ろしながら、高くそびえるその姿は往年の城下町を偲ばせ、川越のシンボル・時の鐘は今日も新しい時を私たちに届けているのです。 また、時の鐘下の奥に、目の病に効くといわれている薬師堂があり、病気平癒のさまざまな願いが込められた絵馬が数多く奉納されています。絵馬は、隣の和菓子・洋菓子の福呂屋さんに用意してあります。
次回は、川越まつりを探検する予定です。どうぞお楽しみに! |
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