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小江戸と呼ばれ、城下町のたたずまいを残す川越。この街には、昔から七福神をお祀りしている寺々があります。
小江戸川越七福神めぐりは、全行程が約6kmとちょうど手頃なコース。
小江戸川越の観光と、幸運と健康増進をかねてどうぞお参りください。
所要時間表示は、目安です。歩きやすい靴でお出掛けください。
2016年、小江戸川越七福神霊場会は設立30周年を迎え、全寺院に水琴窟を設置しました。各寺院の水琴窟は個々に異なる趣と音色を楽しめます。七福神めぐりの際に、ぜひ「あなただけの水琴窟」を見つけてみてください。
各七福神と寺院をご紹介します。
Bishamonten
仏教の守護神で心には勇気決断、暮らしには財という、物心ともどもの福を施す神です。
Myouzenji
妙善寺は天台宗の元中院の末寺で、仙波中院28世尊能法印が父母の追福のために建てた寺です。寺名は父の法名である道仙三心に由来し、火災で堂宇が焼失しましたが、昭和53年に再建されました。本尊は不動明王で、他にも阿弥陀如来、観世音菩薩、毘沙門天が祀られています。境内には室町時代の板碑供養塔や地蔵尊もあります。
また、当寺には「さつまいも地蔵尊」があります。かつて飢饉を救ったさつまいもの功績をたたえ、健康や美容の象徴として愛されています。「さつまいもの日」である10月13日には、毎年当寺でさつまいもに感謝する「いもの日まつり(いも供養)」が行われ、おいもの法話や奉納芸能が楽しめます。また、健康祈願としてガン封じのさつまいもも配布されます。
Juroujin
老人星の化身、富財、子宝、諸病平癒とそのご利益は多く、長寿の神として信仰されています。
Tennenji
天然寺(自然山大日院)は、本尊である大日如来(金剛界)を祀る寺院です。伝承によれば、天文23年(1554年)の9月に開山栄海上人によって創建されました。境内には十三仏偕同の塔、慈母観音像や六地蔵尊などがあります。また、当寺は武蔵国十三仏霊場にも含まれています。
本尊に祀られている『木造大日如来坐像』は川越市内で最も古い仏像として有名です。この仏像は長い歴史の中で、安産を祈願する人々に支えられ、親しみを込めて『大日様』と呼ばれています。
また、願掛け観音もあります。受験や仕事、恋愛や結婚など、さまざまな願いを持っている方々に、願いが叶うようにという思いでお参りいただけます。ただし、願いが叶うためには、真剣に努力することが重要です。多くの方が願いを叶え、参拝されています。
Daikokuten
闇黒の神で、食を司る台所の神と崇められ、糧食財宝が授かる神として大福利益が得られます。
Kitain
喜多院は、830年に慈覚大師円仁によって創建された無量寿寺が起源です。慶長四年(1599年)慈眼大師天海は徳川家康の信頼を受けて寺領を得、48,000坪の土地と500石の収入を手に入れました。その結果、寺は隆盛を迎えました。寛永十五年(1638年)の火災後、江戸城内のいくつかの部分が移築されました。今でもその歴史が偲ばれています。
当寺には歴史的な価値のある要素がいくつかあります。徳川家光誕生の間や春日の局化粧の間は、川越大火の後に移築され、国の重要文化財となっています。正月3日は初大師のご縁日で、厄除けの日として知られ、不動護摩供が行われ、だるま市が開かれます。また、ユニークな存在として知られる五百羅漢があります。535体以上の羅漢像があり、それぞれ異なる表情を持ち、訪れる人を穏やかな気持ちにさせてくれます。
Ebisuten
福の神の代表で人々に幸福をもたらす神。商人からも深く信仰されています。
Naritasan
成田山本行院の創設者、石川照温上人(通称:一心坊)は、多くの困難を克服した信仰の人でした。失明から復帰し、不動明王への深い信念を抱き、川越通町八幡神社に不動堂を建立し、成田山新勝寺の不動尊分霊を祀り、久保町に本行院を再興しました。彼の信念は多くの人々に感銘を与えています。
当寺では、自動車祈願が行われ、ハンドルを握る際に不動明王へ祈り、交通安全を願うことが重要です。また、柴燈護摩や護摩修行といった儀式も行われ、心の浄化や願望成就を求める信者によって毎年多くの参加があります。成田山は信仰と霊験に満ちた場所です。
Fukurokujujin
幸福、高禄、長寿の三徳を具えて、方位除災、商売繁昌、延寿福楽等のご利益を現わす神です。
Renkeiji
1549年、川越城主である大道寺駿河守政繁の母、蓮馨大姉は、人々の安らぎを願い、この場所に当山を創建しました。開山は感誉存貞上人で、後に大本山増上寺第十世となりました。江戸時代には、関東地方の「十八檀林」の一つとして認められ、幕府公認の僧侶養成機関として多くの学僧を輩出しました。
当山に祀られる呑龍上人(1556~1623)は、困難に立ち向かい、貧しい家庭の子供たちを保護し、教育の機会を提供し、相談事を受け、解決への手助けを行ったことで、生涯を通じて多くの人々に尊敬されました。彼は社会事業の先駆者であり、今日でもその霊的な存在として崇められています。
講堂は、幅広い催し物に利用でき、人々の集まりの場として活用されています。当山は地域の祈りの場であり、心が安らぐコミュニティの拠点として、多くの人々に愛され、今日まで続いています。
Hoteison
小柄で太鼓腹、大きな袋を担って吉凶を占い、家庭円満、家運隆盛、子宝、平和安穏を施す神です。
Kenryuuji
永禄1年(1558)、後北条氏の川越城主である政繁は、城下に一寺を建立し、その寺を「建立寺」と名づけました。存貞和尚という政繁の一族の僧侶を小田原の伝肇寺から招いて開山とし、後に寺の名前を「見立寺」と改めました。存貞和尚は永禄6年に増上寺の10代目となりましたが、永禄9年に再び見立寺に住むことになり、政繁の母が平方村に建てた蓮馨寺を川越に移し、両寺を併設しました。天正18年(1590)、豊臣秀吉の禁制書には、「武州川越蓮馨寺同門前 見立寺」と記されています。蓮馨寺が川越に移転した年代や経緯は不明ですが、延宝年中(1670年代頃)と考えられています。
また、最後の川越城主・松平周防守康英公のお供寺である長安院・広運寺が火災で焼失し、ご本尊を移すこととなり、2ヶ寺は見立寺に併合されました。現在の本堂は明治14年に建てられたもので、長安院から移された松平家歴代の位牌は、現在本堂内右手に安置されています。
Benzaiten
七福神唯一の女神で、弁舌、芸術、財福、延寿を授けると共に、運を開き福を招く女神です。
Myoushouji
妙昌寺は、日蓮宗大本山である池上本門寺の末寺であり、法眞山という名で知られています。開創は永和元年(1375年)に遡り、約600年前、池上本門寺の第四世(四代目の貫主)である大鷲妙泉阿者梨日山聖人によって、現在の幸町に建立されました。開山は法眞院日意上人です。
当寺には、かつて多賀町と本町に諸堂がありましたが、総門は旧江戸町にありました。しかし、松平伊豆守が川越城を改修するため、江戸時代の寛保元年(約220年前)に当寺を現在の三光町の旧浅場孫兵衛侍屋敷跡地に移築しました。
平成4年3月には、信徒たちの願いで新しい本堂と客殿が完成し、寺の雰囲気が一新されました。
毎年土用丑の日に行われる「ほうろく灸」は、古くからの伝統行事で、炎天下での灸が熱中症や頭痛に効能があるとされています。素焼きのほうろく皿を頭にのせ、火をつける儀式で、多くの参詣者で賑わいます。